イアンのこと
2008年8月28日
イアン・ウィリアムス選手についてご質問があったので、彼のことについて少し書きたい。
ウィリアムス選手と言えば、神戸製鋼7連覇の中でも、特別な輝きを放った選手だ。V3時の社会人大会決勝戦の決勝トライはあまりにも劇的で「奇跡の疾走」と言われた。彼は、1988年から1990年、オーストラリア代表で17キャップを得ている。トリッキーな動きが魅力のデヴィッド・キャンピージとは違って、抜群のランニングスピードで勝負する快足WTBだった。怪我や、オックスフォード大学への留学、日本行きなどが重なり、87年の第1回W杯と91年の第2回W杯の狭間の国際舞台で活躍したので印象が薄いのだが、 88年には、オーストラリアの年間最優秀選手にも選出され、89年にはブリティッシュ&アイリッシュライオンズと対戦、南アフリカ協会設立100周年記念の世界選抜にも選出されるなど、オーストラリア代表史上でも屈指のWTBだと思う。
日本の社会人ラグビーで世界トップレベルの凄みを披露してくれた最初の選手だろう。僕も彼が日本にいるとき、なんどもインタビューしたのだが、相手をかわすときの動きを実に簡単明瞭に説明してくれた。実際に試合でもボールをもらう前の動きで相手をかわすことが多く、勝負を決めるトライを何本も決めている。独走トライが多かったのは、長い距離を走ってもバランスを崩さないトレーニングの賜物。少し思い出すだけでたくさん書くことがあるのは、それだけ彼の印象が強かったからだ。88年当時の全盛期のウィリアムスの走りには、世界の強豪国も手を焼いていた。
◎お知らせ
神戸製鋼つながりということで、お知らせ。9月14日に、埼玉県の昌平高等学校に体育館にて、神戸製鋼コベルコスティーラーズの前監督、増保輝則氏の講演会がある。大畑大介選手もゲストで参加する予定だという。詳細はコチラ。
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受信: 2008年8月28日 10:53
コメント
当時、神戸にいた知人からの話ですが、イアンはドゥワイヤー監督と合わなかったと聞いています。本人は第2回Wカップで代表に選ばれることに熱意を燃やしていて、キャンプにも参加したのですが、最後に落とされてしまったと。当時その報を聞いて本当に驚きました。前年までレギュラーで選ばれていたのですから。人間関係も一因とはいえ、本人もさすがに落胆していたようです。準決勝NZ戦で見せたエジャートンのディフェンスを見れば、結果的には監督の選択は間違いではなかったといえるでしょうが・・・ファンとしてはイアンとキャンピージの両ウイングを本当に見たかったと思います。
投稿: starchild | 2008年8月29日 00:53
三洋との決勝戦
ロスタイムに
秩父宮のバックスタンドの前を疾走していった
イアンの勇姿を今でも思い出します。
イアンやアンガスが日本で活躍することで
その後、一流のプレーヤーが日本に来るようになった、そう考えています。
投稿: ムーニー | 2008年8月28日 15:05
村上さん、有難うございます。やはり、凄いWTBだったんですね。5年ほど前、オーストラリアで現地の知り合い(高校時代はイールズと一緒にプレーしていた)と話した時、「イアンは今、神戸製鋼のブリスベンでかなりの地位についているみたいだ」と言ってました。今はどうしてるのだか?
いかんせん、片言の英語と片言の日本語のミックス会話だったので、100%当たりかどうかわかりませんが。
投稿: マシュー・バークのファン | 2008年8月28日 10:39
今は事務所でも開いて、所長さんやってるのかな
示談成立までのスピードもきっと豪州一でしょう
投稿: ナベゾ | 2008年8月28日 05:52
わたしは1991年4月から1998年7月までオーストラリアに住んでいました。ジョン・イールズとマーティー・ローバックのテストデビューをTVでですが見たのがひそかな自慢です。
その年イアン・ウィリアムズは、クィンズランドの右ウィングでした。ABCの名ラグビーアナウンサーであるゴードン・ブレイ氏が、オーストラリアで最も速いウィングと評していたのを覚えています。なので、ワールドカップのウィングが、キャンピージー、ロブ・エジャトン、ジョン・フレットの3名で、さらにニュージーランド遠征に第4のウィングとしてポール・カロッツァが選ばれ、ウィリアムズが第5のウィングの扱いだったことに驚きました。
あのシーズン、ウィリアムズの調子は決して悪くなかったので、なぜフレットだったのか、今でも不思議です。フレットがボブ・ドワイヤーと同じランドウィッククラブだったからでしょうか
投稿: Hiro | 2008年8月28日 01:30